社会人野球時代の試練
この社会人野球にて、人生を変える出来事がありました。
それは
肘の故障
です。
この肘の故障により、思うような投球ができなくなったので、病院に通うと、「全治6ヶ月でノースロー」を診断をされました。
4月入社の数ヶ月後での出来事だったため、6ヶ月のノースロー宣告は、社会人1年目を棒に振るということを意味していました。
当然ながら、かなりの絶望感を味わうことになります。
しかし、当時の私には、野球をやること以外、自分の人生では考えられなかったため、基礎トレーニングと身体のメンテナンスの日々を歯を食いしばって過ごすしていました。
そして2年目を迎えた時、いよいよ投球解禁の許可がもらえたため、意気揚々と投球を開始しました。
しかし、その矢先の出来事でした・・・なんと今度は肩に痛みが出てきたのです。
肘で1年目を棒に振って復帰した矢先の肩の痛み・・・。
当然、痛いとは言いだせず、周囲の人間に隠しながら投球していました。
そのため、全盛期のような球速はもちろん出すことができません。
今、自分が医療の現場に関わり、これら一連の流れは起こるべくして起こったことは理解できますが、当時の私には分かるはずもありません。
とにかく自分はなんて不幸なやつなんだ・・・と思っていました。
そこからもどんどん肩の違和感は悪くなっていきます。
そして気づけば、少し投球を休んでしまえば、全く投げることもできなくなるという状態に陥ったのです。
ちょっとよくなった気がしたり、まったく投げられない日もあったり・・・といった日々を繰り返しているうちに、とうとう塁間ほどの距離も投げることができなくなってしまいました。
これが社会人4年目の出来事でした。
一般の会社であれば油がのり始める時期ではありますが、スポーツ選手としては崖っぷち、プロ野球選手になる夢を実現するためには絶望的な状態です。
肩の故障も悪化するばかりだったので、思い切って選手生命をかけて手術をすることにしました。
これが「人生第2のターニングポイント」でした。
自分自身で人生において初めて医療現場と向き合った瞬間でした。
幸いにも、手術は成功し、球速は全盛期に近いくらいまで戻りました。しかし、肩の痛みがとれることはなく、なんなら野球をやめた今でも痛みは残っているぐらいです。
結局はこの故障がもとで野球選手としての道を断念せざるを得なくなるわけです。